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珈琲文化の京都

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 数年ぶりの京都。
 通りの名前も筋の名前もうろおぼえで、地図があっても、探すのに一苦労。

 b0002916_1931423.jpg今回は、縁あって京町家のさいりん館さんを起点に歩きました。
 (写真は中庭で、右手はお蔵が備わっていました。)

 そして、お訪ねしたのは寺町にある、昔なじみのギャラリーテラさん。
 
 その前に、まずは朝の珈琲。
 なんといっても私はイノダコーヒ
 昔ながらの喫茶店のスタイルを崩さず、お店の方々には接客業としてのプロ意識が備わっていて、私のような観光客にも、地元の毎日通うお客様にも相応の対応がなされているように思います。 私の思い出のひとつの場所なもので、贔屓目かも(^^;

 京都を歩けば「珈琲」の看板があちこちあります。
 前田珈琲や、この数年の間突如ブームの小川珈琲。その他、こだわりの珈琲屋さんがここにもあそこにも。珈琲文化がしっかりあるようです。東京って、老舗の珈琲屋さんは、カフェに圧されてさびれがち、と感じます。
 その点、イノダコーヒでは、白衣の男性が職人芸として珈琲を淹れてくれているのです。

 b0002916_1935465.jpgさて、紅茶好きの私です。夕方歩き疲れている時、ムレスナティーハウスが目に留まりました。「うん?紅茶専門店じゃない!」
 たっぷりのアールグレイを頂きました。お店の感想は……、まずまずかな。オシャレ度は高いし、広いし、小さな音でかかっているボサノバの当たり障りのない音楽。若くきれいな店員さん達ではあるし、笑顔もそれなり。でも、今ひとつ足りない何か、って感じでした。居心地はよかったですよ。ただ、朝の思いのあるイノダコーヒに比べてしまったので、点数下がりました。

 次回は大阪の「若松」のお話を書きますね。
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by artemis-journal | 2009-11-30 19:02 | おいしい

有言

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 冬の色合いが濃くなってきました。
 このところ、たくさんの“きっかけ”を与えられています。なのに、そのきっかけを活かせていない私です。私の感性に埃がかぶっているのかもしれません。

 先日、気心の知れた15年以上のつきあいの旧友と数年ぶりの再会。

 翌日のパーティ会場はちょっとしたラッシュ並。会社の設立20周年のお祝いでした。いろんな方々をお見受けし、思いがけない人に出会い……。

 今年の私の気分はあまり晴れやかではなく、超低空飛行。でも、不時着するでもなく、ヒヤヒヤしながら飛んでいる感じでしょうか。たぶん、速度を落としたら、墜落です。(^^;

 低空飛行の理由はひとつではありません。どれも個人的なこと、社会的なことの「つながり部分」にありそうです。その部分に手をつけることが、個人的にも社会にとっても、良い流れができそう。

 たとえば介護。
 昨日は父の住む介護施設での家族懇親会。軽度、重度と認知症を患っている方がほとんどのフロア。それぞれの方にはそれぞれの症状があり、ケアスタッフはとても丁寧に対応下さるので、家族はお世話になっていることに皆感謝。でも、悪いことをしたのでは、と引け目を感じている家族の方も……。世の中の見方は、「家族で住み慣れた家での介護が何より」とされていますが。
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(写真は父との散歩で。)

 子育てについて思うこと。
 私の子どもは、ひとりは独立し、一人は来春大学生。もう「子育て」は最終章。母親として私は、多くのことを迷い、悩み、決めてここまでやってきたことを振り返っています。よかったな、と認められる選択をできてきたと思います。(悔いの残ることもないわけではないのですが。)でも、その選択をする間には、しんどい葛藤があったわけです。

 仕事のジレンマ。
 私のがライフワークとしていること、価値観の転換。資本主義にありながら、その歯車とのずれや、エコや環境といった分野が経済理論に絡めとられがちだったり……。本当に進めるべき仕事が、いつのまにやら、二の次、三の次と押しやられていること。
 
 こんな風に分けてみると、ひとつひとつがとっても大きな課題を抱えていて、でも、全部にかかわっていて……。それが生活者としての私。

 こんな思いを整理しながら、次の世代に送り伝えなければ、そう思うことが生まれています。
 仲間にもその気持ちがあり、「次の世代に伝えておきたい」という話しが時折持ち上がります。
 
 そんなわけで、ここで書いてしまうことで(有言)実行に移したいな、と思っているわけです。
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by artemis-journal | 2009-11-22 12:08 | 生活

脳科学者 ジル・ボルト・テイラー女史

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 最近は脳が注目の的。
 使っていない脳が8割近くあるというし……。サヴァン症候群(知的な障害がありながら、異常な記憶力を持っていたりする)というのも脳に起因するようだし。アルツハイマー病は脳の委縮の病気、認知症予防に脳の活性化とか、脳というのは気になることがいっぱい。
 
脳があるから私たちは感動し、決心し、行動するのです。人生を経験から学び、言葉を話し、抽象的なことを考えるのも、脳あってのことです。つまり、脳があるから人間なのです。(理化学研究所)

 でも、脳というより、手や足、皮膚感覚の身体の記憶っていうのもすごいだろうな、と思うのですが、これもつまりは脳なのかしら。

 脳科学者は時の人。
 以前、ハーバード大学の脳科学者のジル・ボルト・テイラーさんが脳出血で倒れ、8年かけて母親の愛ある看護で回復していくお話がTV放映されたことがあります。ジルさんのお母さんの看護は、“幼児を育てるように”と言ってました。
 また、先日は中村桂子さん(遺伝学者)がやはりTVでこのお話を取り上げていたので、あらためて興味を持ちました。
 
 ジル・ボルト・テイラーさんの講演(20分ほど)です。
 左脳に損傷を起こし、右脳が生き生きとして彼女が感じるエネルギーの存在としての自分。
 上記の講演の最後の言葉。
(右の脳と左の脳がそれぞれの役目を果たしていて)より多くの時間を右の脳半球にある心の深層回路で生きることを選択すれば、世界にはもっと平和が投影され、私たちの地球も、もっと平和になると信じています。私は脳というものを広める価値ある考えだと思いました。

 脳科学がこのように活かされることを願っています。

『奇跡の脳』(ジル・ボルト・テイラー、竹内薫/訳 新潮社)
 
 それにしても、TVで、英才教育、ともてはやされている“脳科学のおばあちゃん”をはじめ、コメントする脳科学者の先生方、「脳科学」というにはあまりにもあさはかで、恥ずかしいです。(って私、よくTV見ていますね(^^;)
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by artemis-journal | 2009-11-16 00:02 | スピリチュアル

エネルギー・リテラシー

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 11/9の「エネルギー・リテラシーなんてあってもいいのでは……」という続き。
 なんと、web上ですばらしい資料がアップされているではないですか!
 京都大学原子炉実験所の小出裕章先生の2009/10/26付のPDF資料です。
 下記は第三章のタイトルです。
 Ⅲ. 原発は最悪 「原子力発電もまた大量の二酸化炭素を放出する」(5、6ページ)

 エネルギー・リテラシーを「エネルギー問題についての正しい理解を深める」という意味で使うと、原子力発電ってどうなのよ、ってつっこみいれたくなりませんか?
 放射能か二酸化炭素かって比べられないかもしれないけれど……。

 そして小出先生の最終項は「少欲知足」(16,17ページ)。
 「少欲知足」にうんうん、とうなずく方が半分ぐらいいるかな? きっと「え~、そんな~」という方も多いはず。あるいは「わかっちゃいるけれどなかなかねぇ。」っていう感じでは?
 
 小出先生はおっしゃいます。
 「いったい、私たちはどれほどのものに囲まれて生きれば幸せといえるのでしょう?」と。

 たぶん、どんなにたくさんのものに囲まれても、絶対に幸せになれない人ことってあるだろうな、と私は思います。
 大金持ちになっても、一時は幸せな気分になっても、いろんな事情で「お金がない時の方が幸せだった」と思う人が必ずいるように……。

 少し観点を変えて、「幸せであること」を満たしていけばいいのでは?
 
 こころ豊かに暮らすことって?
 「しあわせだなぁ」って感じる時って?

 その辺のところ、ゆっくり味わいつつ、考え、整理できれば、今より幸せになれそう。
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by artemis-journal | 2009-11-12 23:41 | 社会

リテラシー

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 私が信頼する枝廣淳子さんが「コスト・リテラシー」という言葉で説明されていることがあります。「コスト・リテラシーを高めよう」(2009/11/6)というタイトルで、環境メール・ニュースの配信分を、しばらくの間はご覧になれると思います。
 「コストについてちゃんと理解する力」という意味で使われています。
 枝廣さんは温暖化、CO2削減対策の話しの中では
  (1)「いくらかかる」と言われたら、
  (2)「それによって削減できるコストや生じるメリットは?」
  (3)「それをやらなかったときのコストは?」
と、とてもシンプルに説明されています。

 別の意味で 「コスト・リテラシー」が最も高いフェアトレード(公平な貿易とでもいいましょうか)を長年に渡って推進されてこられた方のお話を伺うと、フェアトレードがアンフェアなトレード(不公平な取引)になっている実態もあるとか……。
 丁寧に生産者とやり取りしてきたはずなのに、なんでそんなことが起こるの? と思ってしまいます。
 本来のフェアトレードの「誰のために、何のために?」っていう目的意識性を抜きに、「フェアトレード」が売り文句になり下がってしまっている様な事が、稀に起り始めているようです。
 
 支出を抑える工夫が主婦の腕の見せどころではあるのですが、私には850円のジーンズは買えないです。あまりに安価だと、アンフェアな感じで、誰か(海外の作り手?)に迷惑かけているような気がするのです。
 
 主婦でもあり、製造者のはしくれでもある私は、価格にはこだわっています。適正価格なんだろうか?って。
 コスト(費用)はどうなっているの? この製品ができるまでに、いったいどれだけの人の手が加わり、どれだけの費用がかかっているの? と、商品の生まれた過程を遡っていくと、おおよその「適正価格」が推測されます。

 電気代にはいったいどんなコストが含まれているのでしょう? 作るまでのエネルギーだけでなく、原発解体分まで換算されているのだろうか…、とコスト・リテラシーの視点を持って考えると、原子力関連は割に合わないものです。
 原子力の電気はCO2を出さないっていうのも、実のところ、まやかしじゃないかしら? 最終消費の段階ではCO2が出てこなくても、「電気を生産するまで」には、多大なエネルギーがかかっているわけですから。安心安全安価な「エネルギー・リテラシー」なんてのもあったらいいですよね!
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by artemis-journal | 2009-11-09 20:06 | 社会