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ニュースの見出しから

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 ニュース番組をTVで見たり、新聞で読んだりして、気になる時があります。
 たとえば妊婦や新生児の受け入れができず、医療が破綻している、というようなニュースがそのひとつ。

 昨今は妊娠しても産院が見つからず困っている、という妊婦の切実な話を聞きます。
 私が出産したのは20年数年も前。
 出産を扱う産院と妊婦検診だけを行う産婦人科と分かれ始めた頃でした。
 実際に産科は減っているようです。では、出生人数は? 増えているのかしら?
 産科は定時診療ができず大変だから、という理由で減ってきたように記憶があります。
 その当時の話題は「陣痛促進剤」でした。休日出産を避け、平日、日中の定時出産を目指すために使われ、その量が多すぎて、子宮破裂という事件。

 さて、現代は? 「周産期医療」という言葉がよく聞かれるようになったのですが、いつから一般用語になったのでしょうか?
 現代の医療はとても進化したので、NICUという立派な保育器があれば、超未熟児でも育つことができます。
 また、不妊治療も進み、体外受精も珍しくありません。

 ニュースではそんな妊産婦、あるいは新生児に対して、「病院が受け入れ拒否」という見出しで扱います。
 でも、病院が受け入れられない理由を見ていくと、私としては、仕方ないかも、と思われるわけです。
 NICUがたくさん必要である理由を考えたり、医療に頼らなければならない出産が多い(お産婆さんでは済まない手術)、という事実についてはあまり言及されていません。

 29歳で“マル高”だった時代もあったように思います。
 “マル高”とは、出産にはリスクが伴う年齢っていうこと。
 結婚適齢期なんてなくても、出産適齢期は眼前とあります。
 今や30代後半で初産なんて珍しくありません。
 果たして適齢?
 母子ともに健康である率は、ある年齢以上になると下がっていくのは否めません。

 また、妊婦検診などまったく受けずに臨月を迎え、救急搬送で産むしかなく、退院時に不払いで逃げてしまうケースがあるようです。
 出産費用が払えない低所得。
 外国人として、時に不法入国していて、検診など受けられない妊婦たちがいるわけです。

 こういった社会の諸問題の上に乗る「医者不足」「NICU不足」「受け入れ拒否」。
 確かに「受け入れ拒否」なんだけれど、「拒否」だけがクローズアップされるニュースの扱いに、なんだかちょっと違和感を感じます。医者や病院だけが悪いわけではないような?
 「出産」こそ自己(男女双方)責任の割合が大きいと思うのですが。
 子を授かり、子を産む、というのは、男女間の同意あってこそ理想です。(女性だけの意思でも可能ですが)
 子どもを育て上げる、というのは社会が手伝えることですが、乳飲み子は出来る限り産みの親が育てられるよう、社会が援助できるように、と願います。

 現代の医学生は「産科は訴訟が多いので‥‥」と産科を避けるそうです。
 わかるような気がします。

 30年前は保育器での酸素過多で障害が残った、というのは結構聞きました。
 医療が単純だったのだと思います。
 また、昔は「お医者様の言われるとおり」と、有無言わせぬ威圧感があり、医療ミスなど表沙汰になることはなかったでしょう。
 今の複雑な機器に囲まれた、高度な医療はミスが出る可能性も増えるのでしょう。
 ネットも発達し、ディスクロージャーの時代ですから、医療訴訟も増えて当然かと思います。
 「医者が絶対」ということはあり得ないし、責任逃れはできません。

 だからといって医療に完璧(不死や完治)を求めるのは無理があるはず。
 治らないと診立てられた患者が回復し、治るはずの患者が命を落とす場合は、さて、誰の責任?
 患者の取り違いや、点滴のミスは論外ですが、果たしてどこまでが医療の責任なのでしょう。
 医者と患者の意思疎通を大事にしていくことで、随分、医療のあり方が変わるかも、と思うこの頃です。
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by artemis-journal | 2008-12-07 00:05 | 社会

クオリティ オブ ライフ

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 暖かな小春日和。
 八王子の銀杏並木はお日様を浴びてキラキラ。道路も黄金色。
 葉が落ちてしまった木は大仕事を終えた、そんな風情も感じられるほど。

 また、別の駅前の銀杏には商工会による電飾がされています。
 確かに夜はイルミネーションの美しさはあるのですが、自然破壊にも見えます。

 今日は母の病院の付き添いでした。一応、病人ではあるのですが、本人はいたって元気なのです。
 主治医の先生からのご支持は「免疫力を高め、しっかり体力をつけて」ということなので、特に薬による治療はありません。

 喜寿を迎える母は介護施設に入ってもう3年を過ぎようとしています。諸処の事情で、いろんな介護施設を体験して、今の所に落ち着きました。
 「自立型」と言われるタイプの介護施設で、特にお世話をして頂くわけではありません。
 栄養管理された食事が毎食用意され、コーラスや絵手紙の会、季節の行事など、楽しい企画もいっぱいで、遊びをまったく知らない母は、総てが楽しい様子。
 数年前までは、年毎にひどくなっていく鬱病を患っていたのですが、今は信じられないほど安定しています。
 自宅で療養していたら‥‥、と思うと、それは暗闇でぞっとします。
 自宅の処分も終え、これで何の心配もないのだ(心配の種は自分の健康ぐらい)、と安心しきっています。
 多くの人々が「老人ホーム」といってあまり良い印象を持てないのですが、母を見ていると、「こんなに楽しそうで本当によかった」と心底ほっとしています。

 今や介護度はレベル4の認知症の父も、早くに入所したので、そこでの生活になじめ、知らぬ間に体が覚えていて、安心した生活の場になっています。
 自宅で24時間の見守りなど不可能で、昼夜逆転を防ぐために、対処療法としての睡眠薬を使ったり、一歩外に出れば道に迷ったり、と心配は尽きなかったでしょう。
 いつぞやは、私の地方出張中、父が帰ってこない、と母から電話がかかってきたときには、私も「警察に連絡を」としか言いようがありませんでした。
 その時は父はまだ車を運転していて、ご本人、帰ってきたらどこに行ったか覚えていなかったのでした。

 今はプロの介護スタッフの方々のお陰で、安定した生活ができているのだ、と感謝しています。
 逆に言えば、社会生活は送れない状態の父ですが、人としての尊厳もあり、自負もあるのです。
 その人格を尊重して見守って頂けるというのは、家族ではできることではないでしょう。

 よく「家での介護が一番」と言われるのですが、私はまったくそうは思っていないのです。
 両親を見ていて実感します。また、他の方々の例を伺ってもそうです。
 「家がいい」というのは、言い換えると、年を取ったときには「変化」が何より億劫だ、ということにもなります。
 実際には、スタッフにとても良くしてもらうので(他人だからこそできます)、「いいこと」がいっぱいあるんです。 
 病気にもよりますし、家族状況もあるのですから、ベストアンサーはその家庭によるでしょう。
 それに、介護施設もケアスタッフもピンからキリまでですから、絶対に介護施設がいい、とは言い切れません。
 スウェーデンでは福祉の一環として、100%高齢の方は別居。一緒に住みたくてもダメだとか。
 
 私も何人かの認知症の方々とのおつきあいがありますが、皆さん、忘れてしまうことへの不安を抱えておられるのだ、とよくわかります。
 どうやって一生を閉じるのか、不安を持たずに、安心して暮らしていく、私はそこに重点をおいた選択をしました。
 どうやって暮らすか、どんな風に死を迎えるか。
 残りの生を時間ではなく、質で計れる様にしたい、そんなことを考えるようになりました。
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by artemis-journal | 2008-12-05 00:20 | 生活

清いお金として

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 師走。この時期になると、なんとなく回顧的になりますよね。
 「流行語大賞」では、その頃の思いがフワッとやってきたり。。。

 今年を振り返りってみると‥‥。
 ドキドキしたこと、美味しかった料理、楽しかったことに加えて、仕事での苦い思いもありました。
 仕事の苦味は私にはいい薬になっています。事前に忠告を受けていたし、なんとか避けたかったことでした。
 同じ轍は踏まない。君子危うきに近寄らず。いろんな事が頭に浮かびます。いやぁ、人生は勉強ですね。

 過去に遡ってエネルギーを費やしてもあまり生産的でない、時間のムダ。
 そんな風に考えると、嫌な過去は置いといて(被害が拡大しない限り)、「自分のやるべきことは何なのか?」と焦点を合わせるように心がけています。

 もうひとつ、トラブル(人との関係)の上手な解決策というのも学びました。(もしや、普通の人はそんなことはあたりまえなのかも。私だけが今まで愚かだったのかもしれないのですが‥‥。) 
 それは、相手の不満を受け止めること!
 相手が何に対して不満があるのか、そのことに耳を傾ければ、たいていは相手が勝手に解決してくれます。(私が悪ければ別ですが。)
 相手に信頼してもらうために私ができることのひとつかな、って思いました。

 あとは友だち関係でスタートしたコラボ、「女性エネルギー・ラボ」で楽しんだこと。
 1年間、相当エネルギーを注ぎ、「大事な事はなんだろう?」と問い続けました。
 毎月の例会は、おいしい食事が楽しみな代官山のレストランaSukaアスカでした。
 おいしい食事と信頼できる人たち‥‥。そんな宝物に恵まれました。
 
 でも、ニュースになる社会状況は‥‥。
 恐ろしい事件の背景にはかならず、人の暗い心があります。
 心の明るい人には(明るく振舞っているのとは全く違うのでご注意!)考えられないことばかりでしょう。

 それに、解雇される派遣社員の制度は政治が作り出した悪。小泉内閣で悪化しました。
 昨今は、だまして生活保護費までを奪うような“会社”が存在している!! とか。
 最近は大麻が話題になっているのですが、そのお金がどこに流れているの?
 双方ともにお金の流れに穢れを感じます。

 ところで、銭洗弁財天ってご存知ですか?
 多くの人はお金が増える、って思っているのですが、本当の意味は、自分のお金を洗って、「どうぞ私のお金が清められ、このお金がお財布から支払われる時、幸せのためになりますように」という意味なのです。
 お金って、とっても穢れやすいのでしょうね。

 労働に見合った対価が大切。有難みのあるお金です。
 働かざるもの食うべからず。
 クリックひとつで儲けた、損した、なんて‥‥。
 
 逆に、心あることをやっていると「お金はどうでもいいから」という場面に出会います。
 でも、それは、物事を滞らせることになるようです。
 ひとりよがりの(お金の)ルールはうまく回らないですよね。
 お金は他者との関係に、ただ、ルールとして介在しているだけでは?
 
 地方交付金か交付税かわかりませんが、経済は道路だけ整備してもねぇ。
 誰のために、何のために? 大事な事は何だろう?
 根本を見据えた政治による経済再建を願っています。
 給付金制度も住民票がないホームレスにはどうなるのやら。
 
 私の仕事が、清いお金として回るように、そんなことを願って、税金払いたいです。
 
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by artemis-journal | 2008-12-03 23:36 | 社会