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認知症

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 年賀状で頂いたご挨拶に、精魂こめて手がけた番組「認知症 なぜ見過ごされるのか ~医療体制を問う~」(NHK)が放映されるとのご案内。
 薬のこと、医者のこと‥‥。体験者として、いくつも大きくうなずくことがありました。
 番組で取り上げられた内容では、「若年性」という50代での発症の方々もいらっしゃり、年入った父の事情とは緊迫感も随分違いましたが、それでも、この病が家族にとってどれほど大変なことなのか、あらためて体験をする思いでした。

 「もの忘れ」がちょっとひどいなと、うすうすは認知症をわかっていた私たち娘。でも、母はそのことを「認めたくない」わけです。なんとか「普通であってほしい」という願いとは裏腹に、何かと不都合が重なって生活が混乱し始めていました。
 もの忘れに気づいてから数年たって、かかりつけ医に相談に行った妹と私ですが、「気のせいじゃないですか?年齢的にそれぐらいのもの忘れは‥‥」ととりあってもらえないのです。
 でも、「なんでもなかったらそれでいいので一度専門医の診察を」と無理やりお願いして、「もの忘れ外来」のある大学病院に紹介状を書いてもらいました。
 「年なんだから全身の健康診断を」と父を連れ出すと(半分だまして)、案の定、病はそれなりに進んでいました。本人は「ちょっと忘れっぽい」ぐらいにしか思っていません。
 ガンとして車の運転も辞めない父。点検工場の人と画策して廃車にするまでの涙ぐましい秘話もあります。
 大学病院での治験にも参加。新薬としての「副作用がほとんどない」と言われたアリセプトも服用し、そのアリセプトで肝炎を患う薬害にもあいました。
 母はその頃、父の対応(介護?)で、鬱病がどんどん悪化し、ベッドで過ごす時間が増えてしまいました。そしてふんだりけったり、母には不運にも癌が見つかり、手術です。
 もう、両親の意思を尊重することもできず、子どもである私たちが総ての段取りをつけ、父は介護施設へ入所することになりました。
 そこからは、だんだんといろいろな事が良い方へ転がり、そろそろ3年目を迎えます。

 母は癌の手術を2回も受けながらも完治し、父の介護も不要になり、あんなにひどかった鬱病も、薬こそ手放せませんが、自分の人生を楽しく過ごせるようになり始めました。
 現在、両親ともに、それぞれにあった有料の介護施設(同系列)に入所しています。
 とても良いスタッフに恵まれた施設。介護はプロのスタッフが対応してくださるので、本当に安心です。認知症の上手な対応についても「ウソをついているわけではなくて、私たちは女優のつもりです。」とおっしゃっいます。
 80歳を超えた年齢で、もう、いろんなことのつじつまの合わない日々を過ごしている父ですが、施設の中では、「普通の人」として過ごすことができているのは、どれほど幸せなことか‥‥。
 認知症というのは、過去のいろんな仮面をはがし、心のままに、喜怒哀楽が素直になっていく病。
 本人にとっても、「もの忘れをする」ということは何より気がかりなのです。ですから、その点をフォローしてくれる人がいれば、心配がなく安心していられます。(そうでないとパニックしてしまい、もっとめちゃくちゃになっていきます。)
 父には「今」しかないのです。「さっき、あんなに楽しかったのに」という事さえ、心の奥底にうっすら残るだけ。
 そして、あんなに辛かったこと、というのもすぐ忘れてしまえるのです。
 介護スタッフの方に「お顔がわかるうちに、できるだけたくさん会いに来て下さいね!」なんて言われてしまっている私です。
 父にとって3年目を迎える施設での生活のパターンにもなじみ、毎度「もう家に帰る」と言いながらも、外出先から戻り、玄関をくぐれば、ニコニコと「おかえりなさい」、「ただいま」とスタッフに挨拶をしているのです。
 親の面倒もみない親不孝な娘たちではあるのですが、でも、私たちが介護した方が幸せだったということは、120%ないと断言できます。
 どうぞ、介護は一人で背負わずに、皆のサポート、プロの力で乗り切りましょう。
 ガソリン税で「救急車が通るための道路作り」などというおバカな発言もありましたが、今後の高齢化社会は救急医療や老人医療を保証する税金の使い道が大切なんじゃないかと思います。
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by artemis-journal | 2008-01-24 20:15 | 生活

クローズアップ環境

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 今年は“温暖化”が一段とクローズアップされています。京都会議COP3から10年目、洞爺湖サミットが開かれる年。
 温暖化対策については10年前からいったい何がどう変わったのやら? と思うこともありながら、確かに時間は流れ、氷河は溶けているそうで、中国では河川の汚染がひどい様が報じられています。
 そのスピードにおっつくわけではないですが、皆の環境意識も高まっているのも確か。
 普段、温暖化が問題、として感じるのは、夏の酷暑とか豪雨でしょうか。「温暖化の影響ですかねぇ」と挨拶。「氷河が溶けた」と言われても実感がわきにくいものです。
 気候が変動する(干ばつとか豪雨、熱波も寒波もいろいろ)と大地で育む食べ物が生産できないです。氷河が溶けて、川沿いの村が流される、というのもあります。日本ではないですが。
 「温暖化とシロクマ」の写真を見かけますが、「日本のシロクマは動物園‥‥」と思っていると、生態系というつらなりから、私たちと深い関係があったり。
 私が「二酸化炭素と気候変動」という関係を始めて耳にしたのが20年ほど前。その当時はあまりピンと来ませんでした。チェルノブイリ原発の事故の頃ですから、スパゲティ(小麦粉)の放射能汚染の方が身近なことでした。
 「自分の生活」と直結しにくいことは、「食」を基軸に据えてみると良いのかな、と思っています。日本の食べ物は半分どころか60%以上が輸入なのですから。
 例えば、フードマイレージエコロジカルフットプリントなどの換算で、食べ物に費やされたエネルギー量を推し量ると、自分の生活の無駄が数値化されてよ~くわかります。バーチャルウォーター(生産途中で使われたような水)も同じような見方かと思います。
 
 「最小のエネルギーで最大の実績を!」というのは省エネの基本ですが、世の中が複雑になると、こういった基本が欠き消されてしまいがちです。
 東京のスーパーでは、九州から空輸され、時には日本から一番遠い南米から運ばれる野菜や果物が並んでいます。「それなら高い!」と決まっているのなら簡単ですが‥‥。国内産が高くて輸入品が安い。玄米が高くて白米が安い。夏のトマトと冬のトマトの違いはおいしさだけ?
 消費社会はまず、貨幣価値に変換することで、他の価値が考慮されにくいのが現状です。
 私のように、長年“環境”をテーマに暮らし、環境監査の仕事をしていても、やはり価格が最終決定を左右します。家庭を切り盛りする主婦は、そこのところが悩みの種。(盗まれたも同然のような税金や年金もありますし財布のヒモは絞めないと!)
 環境配慮されたものは、貨幣経済の中では“贅沢品”と化してしまいます。(最近の古紙の偽装でだまされたし!!パルプの方が安い! そして質もいい!)
 ずっと環境や健康に気配りをして、いろいろな事情を考慮して、自己中心的な考えにならないように、と心がけ、「環境問題」と言われる情報にはいつもアンテナを張ってきた挙句、「やっぱり高いから今日は安い方にしておこう」という私です。
 世界の気候変動による災害、被害をメディアを通してながら、承知しているつもり。日本人として豊かさを享受し、世界格差を認識していても、です。
 ただただ、自分自身のジレンマとやりあうしかありません。家族や友人との関係もあります。独りでいきがっていても、それは孤立あるのみ。
 
 落ち込みつつ「ならば、私はどうするわけ?」という問いを自らに発すると、生活者としては「不用なエネルギーを使わないように、自身の生活を改善する」という結論です。そしてそれをうまく伝えていく次のステップ‥‥。
 家でダウンジャケット愛用の私は、外出時は薄手に着替えてます。温度設定16度以下。結構寒い家の中。
 ここまで努め、もう自分だけでは工夫もネタ切れ。
 ならば、自力がだめなら、他力頼みです!
 使わなくても済むエネルギーを無駄、というのなら、生活時間の編成のしなおしで、「深夜営業を減らす」ということを提案したいですね。
 夜のコンビニは「深夜電力」で昼より経済効率が良いのかもしれませんが、それより、夜は照明を落とす方がいいはずです。(電力会社にとっては望ましくないことですが。)
 副作用で、未成年者がコンビニにたむろすようなことも減るでしょう。
 私の提唱は、無謀にも「住宅街には深夜営業は不用だ」というもの。
 エネルギーと豊かさについては、豊かさとエネルギーの関係が手軽にわかる(ちょっと長いけれど)と思います。
 エネルギーを3種に大別して、産業・運輸用のエネルギー、そして民生(家庭用と業務用)エネルギー。
 民生エネルギーのうち「業務用」これが曲者。事務所・ビルであり、卸業・デパートやお店などの小売業、そして学校など。デパートも今は8時頃まではやっていますしね。近所のスーパーはコンビニ対抗で10時、11時まで買い物ができます。そりゃあ便利で、私も恩恵は被っていますが、「10時過ぎた~、あと5分早ければ‥‥」という場面も。そんなときは、あっさりあきらめて凌いでしまいます。「10時半まで開いててくれれば」とは思わないです。塾や大学も遅くまでやっているしねぇ。
 深夜型営業の削減を提唱したいなぁ。居酒屋が24時までやっていても、不夜城の街があってもそれはいいです。
 工事現場、医療関係も含め、夜の仕事の方々に多大なしわ寄せが行くのは困りますが、でも、多くの人が朝出勤、通学、夜帰宅なわけですし。
 どう思われますか? 私が残業などで大変な人の立場に立てていないのでしょうか?
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by artemis-journal | 2008-01-20 11:00 | 環境

私の三ツ星

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 いつのまにやら2008年も1週間を過ぎてしまいました。
 年末には母と娘と私の三世代で近場の温泉へ一泊旅行に出かけました。母と一緒に温泉などというのは25年ぶりかも‥‥。行きには横浜の中華街をぶらぶら楽しんで夕方には温泉へ。
 翌日には鶴ヶ丘八幡や円覚寺を散策して、おいしいイタリアンのお店へ。リストランテ ア・リッチョーネでのお昼は大ヒットでした!
 信頼する『おいしいごはんの店―自然派レストラン全国ガイド』(野草社)にも載っているお店だと後で判明。「土を耕し、野菜を作る!」という姿勢、これぞレストランの真骨頂ですね。
 釜焼きピザのお店もちゃんとチェックしている私ですが、ここまで満足するピザにはなかなか出会えません。
 それに何より、お店の人たちの心のこもった、暖かいおもてなしがスペシャル。
 ちゃんとお客とのコミュニケーションがとれるお店なのです。フロアスタッフがプロだなぁ、と感心した次第です。
 飲食店の店員さんは通常アルバイト。残念ながら、彼らの多くは、食を提供する側としての“プロ意識”がほとんどないのです。自分の店としての誇りもあまりないし、食材についての知識など、ほとんどありません。(ア・リッチョーネのスタッフもバイトさんだとは思うけれど‥‥)
 時にサービス料を取るようなお店では、反対におすまししたボーイさんが「これぞ気配り!」というような対応をしてくださるのですが、それは“サービス料”なのですね。
 私の外食の楽しみ方の基準に、お店の方との“適度な”コミュニケーションがとれる、というのがあります。
 私のような、たま~に訪ねる“非常連客”でも、暖かく見守って下さるようなお店は、ほんと安心できます。(お店の常連さんになるのは苦手なものですから、出来る限り続けては行かないようにしています。)
 いくつかお気に入りのお店がありますが、それらはどこも、マネージャーとしての店長ではなくて、店主が自分の大事なお店として育てている感触を受けます。
 また、老成したようなお店だと、いくらお味が確立していてお値段も手ごろでも、二度とドアを開けることはないのです。
 どこがどうって説明できないのですが、これは、感ですかね。
 社交家タイプの夫はまた違った基準があって、彼は常連タイプ。お店のオーナーともおしゃべりが弾みます。どちらにしても、個人経営のお店ではありますが。
 さて、今年はどんなおいしいレストランに出会えるか、楽しみです。
 良いお店がいつのまにか消えていく吉祥寺ですが、どうか消えずに欲しい、と願ういくつかの愛用のお店。
 昔、友人が言ってました。「この店でまた10年後にばったり会えたらいいなぁ、って思うんだ」でも、六本木にあったその店は、消えてしまいましたが。
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by artemis-journal | 2008-01-08 23:07