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大人たち

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 秋の彩りがいっそう華やかになった引退の新庄選手、フィギュアスケートの安藤選手と、スポーツに関心のない私でも、とても心うたれてしまいます。“人生いろいろ”あった彼らの今を、メディアを通して見ながら、私も頑張れば‥‥、なんとはなしに力を与えて頂いているところです。
 と同時に、ティーンエイジャーの悲しい選択に、苦しくなってしまいます。私など怖がりで、とても選べない自死。その怖れをも超える苦しみが、未成熟な人たちを襲っているのでしょうか。
 先日の電車の中での小学生のグループのお母さんたちの会話を聞いてびくっとしました。
「私、個人面談も家庭訪問も断ったの。だって自慢話ばかり聞かせる先生でいやなのよ」
私にはちょっと信じられなかったのです。えー担任と断絶状態?
 逆に何かあると教育委員会に言いつける、という保護者。ずーっと昔ですが、子どもが運動会の騎馬戦の練習で裸足でやって怪我をしたので
「即刻、教育委員会に言ってやった。学校じゃ埒が明かない。」
というすごい剣幕のお母さんには「そうですか」としか言えずに、たじろいだ記憶があります。
 私も子どもの担任に対して、好き嫌いはありましたが、嫌いな先生とも機会あるごと話かけて、おしゃべりしたり先生の考え方を伺うと、やっぱり、親の私は自分の子どもとしてしか事情を見れていないな、とはっとすることも。
 時には、新人先生に「お子さんの問題は、お母さんが忙し過ぎるからじゃないですか?」と言われ、カチンときたことも。そんな積み重ねです。
 先生も親もひとりの人間。子ども育てるという素敵なことを介してお互い務めているはず。
なのに、どこかねじれが生じてしまい、今やすごくまずい状況のような気がします。
 学校側はひたすら保身に身を固め責任逃れに必死。社会全般として、親の責任感が薄れているし‥‥。大人たちの無責任さや争いを、子どもが全部背負っているように見えてきてしまいます。
 私は小学生の頃、「いじめ」という名詞がない時代にいじめられていました。毎日毎日、母に言ってもとりあってくれず、先生に対してはどうも、あきらめがあったのか、何も相談することはありませんでした。
 だからある部分心を閉ざしてしまいがちなまま、大人になってしまいました。でも、その当時は、それなりの仲間というか、友達もひとりはいたので、乗り切れたのでしょう。今でも引きずっている部分はありますけれどね。これが個性かな。(^^;
 わが子たちも、いじめではなくとも、仲間はずれにされたことは何度か。でも、親として何もできませんでした。ふたりとも主な原因が「ゲームを持っていない」ということだったので、親が原因を作っていたようなものでしたから。ひたすら耐え、時が経つのを待ちました。
 今は仲間はずれの辛さをわかって、生かしてくれていると信じています。少なくとも、私より、友だち思いだし、つきあいはとっても上手。
 大人同士、授業参観中の親のおしゃべりとか、電車内の会話のようにあからさまに先生を嫌っている様子を、こどもたちは日々見せられています。どんな気分なのだろう、と思うと心が痛みます。学校で先生をバカにしていないかしら、とか‥‥。
 私は結構、こどもの前では言動に気を使っているつもりですが、ついついポロッと他者への不満が口をついて出てしまいます。まずかったかな、と後でフォローを入れることも。親の後ろ姿は大事!! と反省の日々。
 先生だって人間。同世代の子どもを持つお父さんやお母さんだったりするわけですから。
 「中教審」に振り回され、午後3時台には「休息」を取らねばならない、という東京都の規則に縛られる先生方。早朝・休日など部活に付き合う場合は、先生のボランティア精神頼り。ひとりの先生が頑張っても、他の先生の手前もありそうですよね。
 私の周りには素敵なお母さんたち、PTAの役員で頑張ってくださっている方々がほとんどです。でも、いい人たちってあまり目立たず、インパクトがあるのは“クレームタイプ”ですから。困ったものです。PTAの役員の方のお話を伺うと、どうも「匿名」でものを言う人が多いらしいです。2ちゃんねるタイプでしょうか。単に不満を外に吐き出すというのか‥‥。解決に持っていく事にはなりません。嫌いな人とも話せるのが大人でしょ! 
 ともかく「文句を言われない」ということだけに注視した教育が行われていくことは、どんな影響がでるのでしょうか? 誰かの責任逃れができても、「どこか」が引き受けなければならないエネルギーです。
 こどもの自死はひとりの問題ではなく、学校教育や先生だけの問題ではない、と強く思います。社会のひずみがこどもに集まっていますよ、絶対に! 
 逮捕された福島県知事の周辺人物、県職員、議員、そして、何より福島県知事を選んだ県民の責任は?
 そんな連鎖の源に「私自身」があるという謙虚さが表現されれば、みんないい方向にゴロン、と変る気がします。そんな風に思うのは私だけでしょうか。
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by artemis-journal | 2006-10-30 12:26

エノアールカフェとビッグイシュー

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 秋のさわやかなお休み、お散歩には最高の季節です。
 本屋を営む友人は、『DEAR キクチさんブルーテント村とチョコレート』(絵・文 いちむらみさこキョートット出版)という本の書評を書くことに。代々木公園でエノアール(絵のある)カフェをやっているというホームレス・アーティストのいちむらみさこさんの昨年出版されたものです。
 「東京にいるんだから、彼女に会って書評を書きたい」ということで、私はお供に誘われ原宿で待ち合わせ。
 「ブルーテント村だから住所はないし、代々木公園って広いから会えないかも」なんて言いながら、ブルーテントが見えると、「いちむらみさこさん、エノアールカフェを知りませんか?」と道々尋ねながらのお散歩。
 1990年代から公園脇でフリマを出しているというおじさまの場合。「今はブルーテント村は撤去されてないわよ。でも、突き当りを右に‥‥」と昔話を交えながら教えてくださいました。
 この辺かな? ときょろきょろ。遠見で「あの人女性じゃない?」ホームレスの女性が、毛並みのふさふさしたでっかい猫を抱えています。
 「エノアールカフェはあそこ」と教えてもらうと、「やったー」という気分です。
 入り口には招き猫。木には絵がかかっています。そこのテント周りはちょっと華やか。道路を隔てて公園のあちら側は「NPOまつり」ということですごいにぎやか。
 先客の方が、いちむらさんへインタビューの最中です。
 フルーツティーを始め、たくさんのお茶のメニューがかけられている静かな森のカフェ。そしてお代は物々交換。童話に出てきそうな設定です。「夢のよう」という言葉がぴったりな不思議な空間です。
 お仲間の小川てつオさんも「ホームレス文化を考える」とブログや本を出しておられます。
 ホームレスの話はTVや新聞で話題になる程度で、現実味がなかったのですが、「暮らし」を考える原点に、最小の家財道具、雨・風しのぐ、そこで一緒に暮らしていく人々の「村」があることが見えてきます。男性中心の村ですから、女性は強烈な個性でちょうどいい、とか。
 実は私まだいちむらさんの本は読んでいないのですが、その前にお訪ねしてしまいました。
 友人曰く「いちむらさんの生活はエレガントよね」。
 なんだか私たち二人の散歩は、とても不思議な異世界にでも出かけたような気分でした。

 話は飛びますが、夏の終わりに、娘が「面白いよ!」と勧めるので、『ビッグイシュー』という雑誌を買い始めました。(雑誌はまず、買うことはないのですが、これはちょっと楽しみ!)ホームレスの人たちが販売する雑誌です。
 世の中フリーペーパーだらけで、“ゴミ製造”っていう気がして嫌気がさしていたのですが、フリーペーパー配りの赤いにぎやかな人たちの横で、じっと黙って立ち続けているおじさん。売れるのかなぁ、と心配になる『ビッグイシュー』です。
 なんだか急にホームレスの人が私の生活に溶け込んできた感じがします。

※我が家の駅の近くには、以前、アル中のホームレスの人がいたので、私としては、とても近づきたくはなかったのです。でも、ホームレスにはいろんな事情もあることも。住所がないので就職できない、という社会の悪循環があるようです。ニートとの違いもあるし‥‥。ホームレスであるかないかより、仕事に就けるか就けないか、ということが大事なのかも。
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by artemis-journal | 2006-10-25 20:13

代理出産からいじめまで

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 タイトルの通り先週の新聞には、北朝鮮関連に混じって、このことがたくさん載っていました。
 代理出産。これは、親の意向で行われているのであって、生まれてくる子どもの気持ちとしては語られることはあり得ないことでしょう。
 生まれてきた直後の赤ちゃんの神々しさに涙する人はたくさんいます。母親は10ヶ月の胎内での育み、そして最後の出産の苦しみも経て、動物的に産みの歓びはあります。
 産んだ時にしか出ないおっぱいですから、ほんと妊婦や出産直後の体というのは、特別な状態です。
 しかし、赤ちゃんは産まれて数か月間は連続して寝ないし、授乳やその世話の大変さというのは、並大抵のものではありません。ホルモンバランスや人間関係の軋轢や、子育てのタイヘンさに、私は円形脱毛症に。15年間ぐらいは、精神的に大変になると、その後しばらくして500円ハゲがいくつか。お母さん仲間にはいましたね、円形脱毛症の方が結構。
 産後3ヶ月ぐらいがひとつの山場で、虐待が起こるのもこの乳児期。五体満足で生まれてくれたら、元気な良い子に、そして幼稚園はどこ、学校は‥‥。と状況はどんどん変化します。
 「子ども産むだけならいいけれど、その後育てる自信がないよねぇ」と友達と語ったことも。また、出産で落す母の命。母子ともに命を産むのは命がかかっています。
 こどもを育てる、それは出産とは別の意味でとても難しいです。主に母が「自己責任」を追及されながら、育てていかねばならない現代社会で、子どもの個性をのびやかに、というのは「絵に描いた餅」のように現実離れしていますよ。社会の目は冷たいです。
 学校で起こるいじめの問題は、先生がいじめたから自殺、にまで発展。親は「あんなに明るくふるまっていた子どもが」と兆候さえ感じ取れずにいます。
 親に気を使う子どもたちがいることは、肌身で感じます。でも、大きくなると、子どもがいろんな意味で、豹変することに、親は気づかない事が結構あるそうです。誰にも本音をもらせない、こどもの世界の方が大人より狭いのです。
 今の社会で子どもを産む、育てる、というのがどういうことなのか、すごく苦しく感じてしまいます。
 結婚=嫁=産む性。この点が不妊治療に拍車をかける要因のようにも論評されます。男女の「どちらか」に産めないという身体的理由がある場合があります。それは、夫婦間で解決するだけで、周りはとやかく言わない方がいい筈です。(でも、年をとると、どうも理屈ではダメなようで自分の気持ちが‥‥。人はそういう風に単純なんです。)
 代理出産は不妊治療とはまた別ですが、今回の、母が娘の子どもを、というのは、ちょっとまずくないか? と思いました。人間って、本当に単純な生き物で、喜怒哀楽でできていることを考えると、生まれてきた子どもが、性に目覚める思春期をどう過ごし、あるいはずっと代理母の存在は隠されたまま行くのか? おばあちゃんが孫に「あなたを産んだのは私なのよ!」と何かの拍子に言わないとも限らないし、娘婿も思ったように育たなかったときや親子関係にトラブルが起きた時や、子どもが病気をした時に、子どもにしわ寄せが行くような感情が起こるかもしれません。そんなことを法整備したところで、「法の不備」は避けられるわけはないでしょう。一般化したら、混乱が生じるのは火を見るより明らかです。代理出産が成されたなら、社会のウラで処理された方が‥‥。きっと今回の医者には問い合わせが多いだろうな。
 少なくとも、産んでない娘(母)は産後のカラダを経過せずして、母をするわけです。バーチャルな母体で育てていることでしょう。(これは里子と同じ状態)
 私は「血や遺伝子へのこだわり」について、深く探っていく議論がされてもいいのでは、と思います。科学的にも哲学的にも。
 子どもが欲しい! という気持ちは、恋に陥るようなもので、コントロールも利きにくい感情では? 永遠の愛情とは異なっているように思います。
 お腹を痛めた子、という言い方には、子どもにわが命を捧げても、というようなニュアンスがあるのですが、親が子を、子が親を殺めるという事件も目に余るものが現実にあります。
 お腹を痛める系の愛情とは別の愛情を育みにくい日本の社会(見て見ぬふりの電車内が象徴する冷たい社会)。これは、本能ではなく、人間同士で優しくし合って、育み合い労わりあうという愛情。それがとても希薄です。
 どうしても自分のこどもを育てたい場合、養子縁組、里子という選択はできないものでしょうか。それは「不妊治療」とは相容れない思いなのでしょうね。そのギャップにこそ、日本での代理母の問題の一旦が隠れているように思えます。
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by artemis-journal | 2006-10-21 15:06

「月のやさしさ」のこと その2

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トーク&ワークショップ 10/26 女性エネルギー問題~女は尽きない資源を持っている~の受付が始まりました☆
 世の中、売れるものとお勧めしたい商品に差がありますよね。
 特に本屋さん。良い本が売れるわけではありません。敢えて言うならば、良い本こそ売れない。
 ロードショーも派手さを競うハリウッド中心か、安直なラブストーリーが主流。ヒット作は、映画の売上で決まるわけですものね。良し悪しや質が一番の要因とは言いがたいようです。
 マーケティング、商品開発、お客様は神様、という商売の原則もあります。私はその辺の事情を無視しているつもりではないのですが、今、日本の流れを見ていると、もしかしたら、「こちらがお勧めしたい商品」を売っていく必要があるのでは、と感じています。
 アルテミスのように小規模で小回りの利く場合、いろんなことをやってもリスクが小さいので、なんとかやっていけます。だから、ある程度、主張をしているつもりです。
 ただ、スタッフたちと喧々諤々いろいろ考えたアイディアを、商売としてやっていると、いろんな事を考えさせられます。
 布ナプキンを自分で作って縫えるというのが、何よりいいです。もともと輸入品があって、日本で作った方がいいな、っていう気持ちでしたから、多くの方が製造メーカーになるといいなぁ、って思っていました。
 以前、「特許とりたいけれど、布製品は無理」という、他メーカーのご意見をうかがいました。私としては、女性の生活の基本ですから、みんなで共有してもいいな、とは思いましたが、小さな世界でのこと、いいとこ取りのように、マネされるのは気分のいいものではないですよね。
 でも、現実、「商品研究」ということで、競争に参加しないといけない雰囲気も。
 今、「月のやさしさ」は商品アンケートを実施中なのですが、「他のカラーも」というご要望もありますが、「このままで」というご意見もあります。
 前回の「月のやさしさのこと その1」で触れたように、機能性を重視していくことより、自分のカラダへの気づきをもっと深めていただければ、ということで、「ピンク」と「シンプル」を基本にしているのですが‥‥。
 皆さんのお考えはいがでしょうか? よろしければこちらまでご意見を。コメントではありませんので、アルテミスにだけ届きます。
★アルテミスの「月のやさしさ」の付加価値について
 アルテミスのスタッフの中には、それぞれ家庭の事情もあります。男の人たちのように「仕事だから」と、言い逃れもしにくいです。だからこそ、やりがいのある仕事として細く、長く続けられるように。その辺もお客様に対して胸をはってお勧めしたいところです。商品「月のやさしさ」の対価には、「女性の仕事のあり方の分」も応援して頂いています。この商品を買って頂き、このお金がどういう風に活かされるのか、そんなマネーサイクルを考えています。
 今まで続けられたのも、アルテミスを応援してくださる皆さまのお陰と、心から感謝いたします。
 そしてこれからも「月のやさしさ」を、いろいろな形でご支援下さい。
 このブログをお知り合いに知らせて頂くとか、HPのhttp://artemis-moon.jpをお知らせ頂くとか、皆さまのご理解の上でのお力添えがあることが、何より嬉しいのです。
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by artemis-journal | 2006-10-18 14:07

「月のやさしさ」のこと その1

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トーク&ワークショップ 10/26 女性エネルギー問題~女は尽きない資源を持っている~の受付が始まりました☆
 アルテミスでは普段は「エコ」には触れず、「布ナプ」の心地よさを提供するように努めています。使用者にとってエコは二の次。でも作る側の私たちは、ゴミを出さない、もったいない、が基本にあります。
 ★「月のやさしさ」には工夫が足りない? 
 「月のやさしさ」はとてもシンプルで、今の時点では、吸収体などは使っていません。で、どうして使わないの? カラフルでかわいい柄がないの? それにはそれなりの理由があります。今の使い捨てのナプキンが使いやすいように改良されてきました。すごく画期的でした。日本中、100%の人が使い捨てに頼ってしまうことは、実は「失うもの」もあったのです。“アンネ”以前は?
 こちらのコラムのひとつで触れていますのでご参照下さい。免疫学者の三砂ちづるさんの面白い本はお勧めです。
 「月のやさしさ」を使って気づいて頂きたいこと(眠っている能力開発?)があります。

 ★仕事のシステム
 前回触れた“環境問題”にアルテミスならではの影ながらの努力について。
 20年近く“環境”に携わってきた私としては、あらためて「エコ」などと言うつもりはないのですが、それ抜きにも考えにくい、というのが基本姿勢です。
 生産過程(といっても力もお金もない私が管理できる範囲ですが)では、ムダを出さないためにあれこれ、ちまちま工夫しています。これは縫製者との関係の中でやりとりを重ねながら生まれています。
 時間・経済効率の観点からだと、違った方法を採るべきかな、との迷いもありましたが、総合的に考えると今のシステムはやはり大事にしたい、と考えています。
 縫製スタッフの一人は、ミシンの電気は使いたくない(壊れ易いことも含めて)と足踏みに改造しています。これは、私も驚きました。 へぇーそんなことができるんだ! と。ミシンは消耗品ですがモーターの消耗以外はまずは修理が可能という発見も。通常は「買い替え」を勧められてしまい、メーカーに問い合わせてもどうにもならず大変困っていたのですが、ちゃんとそれなりのルートがあったのですよ。
 そして、心強いスタッフが「やりがいのある仕事」として取り組めるような工夫、これも大事。もちろん、みんな「ミシンがお友だち」と、ミシンに愛情を感じてくださっています。
 今の社会システムでは派遣や外注で仕事が分断されがちです。私も当然、考えてしまうことが。でも、顔が見えなくなるのです。誰が縫製し、検品し、発送したか、スタッフの顔がわかるので、消費者の方々のお電話にも、100%応えることができます。
 確かに経済効率は悪いのでしょうが、でも、働きたい方たちが満足して働いていただけることは、私の願いでもあります。
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by artemis-journal | 2006-10-12 11:59 | 健康

温暖化etc.

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 秋のおだやかな1日。昨日は陽射しもばっちりでしたが、ちょっと曇りがち。こうやって、だんだん冬に近づくのですよね。
 このところ、サボり気味だった環境のことについて学び直しをしています。新技術がどう生かされるのか、また、統計学のデータをどう解釈するのか、見方や意見の違いに、「根本はその人自身のやさしさなんだろうな」と本筋から離れたところで感じ入ってます。
 環境監査の仕事仲間のお一人に、1997年に大学に設立された地球環境法学科を卒業された方がいらっしゃいます。その方の時代は、環境は目新しいまだマイナーな学科だったそうです。今や、環境の学科も珍しくなくなり、反対にちょっとしたことでは目を惹かなくなったようです。学科選びもは目新しさや流行が歴然。この10年間で、どんな変化があったのかしら、とあらためて検証したくなります。
 ところで、温暖化防止のための「チームマイナス6%」。(個人でもチームに入れますよ!)これは国民運動になっているのですがその効果は? 
 エネルギー総量をCO2換算にしてしまうという大胆な方法なので、細かいことにこだわる必要もないのですし、わかりやすいです。(地球環境問題を分野別に捉えた場合、温暖化だけに焦点を合わせるのは、ちょっとちょっと、と言いたい気持ちもありますけれどね。)
 削減の実態は厳しいようです。一部の方々の熱意に支えられているかもしれないのですが、どうも、全体的に‥‥。便利と相反することが多いから、我慢大会の体を擁してしまうようです。モッタイナイが日本で見直されるのは、ムズカシイ。
 東京はコンビニのみならず、スーパーマーケットの深夜営業が増えています。(客はまばらだし、若者のたまり場という場合も。)
 また、民生(家庭用)エネルギーの削減が難題。独り暮らし(世帯数)が増え、食事やお風呂もバラバラな時間、ペットのために1年中エアコンつけっぱなしで外出。オートロックの超高層マンションはエレベーター無しでは暮らせません。プリウスに乗る人も増えたけれど、雨の送り迎えにワゴンタイプの車が‥‥。
 残業続きで、深夜帰りの一人暮らしの人がコンビニ経由でお弁当を購入。朝も缶コーヒーでスタートというのは普通。
 朝はレギュラーコーヒーの淹れ立て。土曜日は一週間の食材の買い物、夕食も作って。‥‥そんなお手本のような生活は、なかなかですよ。下手すると、冷蔵庫にカビの生えたものが!ってなっちゃいそう。
 では、温暖化防止のためには、やっぱり何かを我慢しなければならないのでしょうか? あまり気張る必要もない感じはします。買い物袋持ち歩いて、不用なコンセント抜いて、ゴミは極力出さずにペットボトルのリサイクル。それぐらいでもいいから、やって欲しい! というのが日本の本音。できそうでできない?
 実はアルテミスでは、そんな思いを踏まえ「影ながら」取り組んでいる“環境”のことです。‥‥to be continue
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by artemis-journal | 2006-10-12 11:50

月あかり

 十六夜の月あかり、美しい晩でした。
 先月参加したワークショップ、今も思い出すのですが、「いや~、自分のことはよくわかっているのだが、それができないのだよね」ということ。
 私の得意とすること、不得意とすること、それはまるで陰陽の関係で、一方だけでは成り立たないのです。例えば直感を働かすことと理屈による計画性。私の計画は、実に臨機応変。つまり、直観力が勝って、計画は立てるだけムダ状態。
 そこをなんとか改善しないと、いっつも同じ失敗をやらかします。ちょうど今がそのとき。私の性質として、どうしても計画的にやらねばならない仕事から逃避しようという心が働きます。おかげさまで、時間ができて、家事ははかどります。(^^;
 でも、このまんまでは、だめだな、というビジョンも見えているのが、私のすごいところ! (自分で褒めなきゃね!)この同じレールの上をグルグル回るのをちょっとずらして、螺旋に持って行く、というのが目標です。
 そこで、この際だからと、思うに任せ、今まで気になったいろいろな本をめくっています。そうこうしながら脱出を図ろう、という準備をしています。
 こういう迷いの中でグルグルしている自分を、じっと呼吸を合わせて見つめてみる、すると、ふっと見える一瞬が。その光の下に自分を持っていこう!
 ここまでわかっているのだから、あとはやるだけだよね!
 これが簡単にできるようになれば、私は今より、一段成長できるのです。
 なんやかや言っても、自己コントロールしかない、と痛感させられる昨今です。
 月の美しさを私の中に照らす、そういう思いで過ごしてみることにしましょう。
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by artemis-journal | 2006-10-08 13:40

占いの力

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 年末の女性誌は「来年の運勢特集」が定番。誰もが、幸せを願うし、誰ひとり(霊能者を除いてかしら?)未来が見えないのですから、「占い」に惹かれるのは当然です。男性は気にならないのかしら?
 私は長年、毎日の運勢のメール配信の「エンジェルメール」を読んでいます。大抵読むのが遅れ、前日のものを読むことが‥‥。で、ふーむ、昨日の運勢はそうだったのか、でも、私はぜーんぜん違うな、って。そりゃそうでしょう。恋愛運なんて無縁だし、仕事運だって、あり得ない状況。20代OL向けですから。(^^;
 で、ある暇な時(っていうか、仕事したくない時なのですが)ネット掲載の無料のいろんな「その日の運勢」など比較してみたら、「山羊座」の私の運勢はよくこれだけバラエティに富んでいるなぁ、って関心してしいました。これだけあれば、どれかは当てはまるよね。
 それでも、山の手線に乗ると「今日の運勢」とアドバイスの一言をちゃーんと読んでいる私。
 ある時、占い師のドアを叩いて、総合運を占ってもらったことがあって、いろいろアドバイスを受けたのですが、ひとつも守れずにきました。夫の家族と同居がいい、数年以内に仕事は譲った方がいい、とか。まあ、運命っていうのは、変えられないけれど、それを良くするのが占いだっていうことを聞いたような記憶が‥‥。事故にあっても軽くて済むとか。そんな話だったような。
 私はたまに弁天様にお参りに行ったり、お散歩は神社参拝が好きだったりして、当然おみくじ大好きです。(私のお参り好きは、願いごとを叶えるというより、今の私の行いで良いかどうか、の確認に使うことが多いです。時に病気平癒などもありますが。)
 で、その活用方法が大事なんだろうな。おみくじや占いが示してくれたりすることに、自分の合点が行くかどうか。
 さてさて、占いは当たったことだけ信じりゃいい、と言われたり、雑誌の占いなぞ結局なんの保障もないのですが、心のよりどころなんです。
 もし、占いが検証されたなら、これほどいい加減な話はない、とわかっていて、それでもすがりたいでしょ。
 今の私の迷いに、時に占いのエッセンスをちりばめながら、さあて、どうやって解決しようか? と取り組むことにして、明日の活力に!
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by artemis-journal | 2006-10-06 15:44

臓器移植

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 このことについて、このジャーナルで触れるべきかどうか、迷いました。でも、長い間気になっているのです。そして、なんら自分の指針が見えてこない私。
 先日、腎臓を売買、というニュースがあったのですが、それって今始まったことではないのかも、という気がしてなりません。なぜなら、随分昔、金融取立ての脅し電話で腎臓を売れ、というような脅迫場面をTVで見たことがあるからです。
 昨日、人身売買の話をラジオコマーシャルで耳にしました。グッドバンカー代表取締役社長の筑紫みづえさんが「1万円あったらあなたはどうする?」と若い女性に尋ねると、「そろそろ髪を染めようか」「リラックスのために」みたいなことを話し、筑紫さんは「1万円でアジアの国から人身売買されてるんですよ」と話され、若い人はびっくり。で、若い女性は「今度私も1万円を人を助けるために使いたい」と。(その後とあるシャンプーのメーカーの名前と音楽。)アジアの人身売買については、いくつかの資料にあたったこともありますので、納得します。
 それにしても、売血の話や中絶後の胎盤を集める会社(化粧品・製薬とか?)など、「ウソじゃない?」と思うようなことがあったりするものです。(事実を私は知らないです。看護士の友人から聞いたり、TVで観ただけです。)
 臓器移植も、「お金を払えば」というのがきっとあるよ、と思わせるところが怖いです。でも、「ない」とどうして言えるでしょう?
 生きたい人と借金とりたてに脅えた人の関係ですから、「コーディネーター」が現れるのもわかる気がしませんか?
 吉祥寺でも保育園のお子さんの海外での移植手術の募金を募っていました。私はその場を駆け去ることしかできませんでした。私も自分の身内が、それも未来いっぱいの子どもが移植で助かるとなれば、そうしたいと願うに決まっています。
 でも、それで良いのかどうか客観視できないといけないのだろうと、時々、そのことを考えています。生体間移植だと売買というのは当然がおきそうです。では亡くなった方なら問題がないとも言い切れないようですし。
 大霊界を語った丹波哲郎さんが亡くなられ、その霊は葬儀の際ニコニコしておられたとか。小さなこどもではなく、お年を召した方だったので、そうだったのかもしれません。
 生まれたそのときから死は近づいてきます。私の人生半分は終わってしまいました。(と思っています。)記憶に残っていない幼少期はたったの3、4年。その数年が無限の長さに感じます。毎日、もっと時間があれば、と思いながら生活して、こんな風にいつまで生きることを楽しめるのだろう? 
 人は輪廻転生をするそうだから、次の生を楽しむのも良いのかも。
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by artemis-journal | 2006-10-02 21:43