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大岡信コレクション展

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 26日金曜日、大岡信コレクション展に出かけました。行きたい展覧会を逃しがちの私ですが、今回は地元です。「ここで行かなきゃ、行く気がないのね!」ということです。(実はポンペイ展もチケットの期限が切れそう。)
 休日よりはゆっくり観られるだろうな、という気持ちでしたが、結構混雑していました。多くの作家の作品が並んでいて、ひとつずつに出会うと、いろんな想いが湧いてきます。1970年代、80年代というのは、私の人生の中でもアート(音楽)でいっぱいでした。
 ジョーン・ケージ、武満徹、一柳慧の曲を耳にすると、今も当時の気持ちが甦るから不思議なものです。美術分野の思い出は特にないのですが、インスタレーションなど音楽と一緒の作品が好きだったなぁ、と懐古にふけってしまいます。
 で、大岡氏のコレクション、私にとってはタイムスリップのドアでした。「音楽は魔物だよね」なんて言い合っていたこともあったのですが、その魅力に獲りつかれると抜けにくいものです。今は逆に現実に足をひっぱられ、芸術が恋しくて仕方がありません。
 先週、実家の処分で、私の過去のファイルを総て捨ててしまいました。出かけたコンサートのチケットや映画のパンフレットなど、学生時代から子どもが生まれる前のものまで総てです。子どもが生まれてからは、経済的にも時間的にも「遊ぶ」という事はなくなっていました。
 そんな処分時の感覚も残っていたので、大岡氏のコレクションに囲まれ、記されているコメントや年代に自分の想いを重ねると、なんとも言えません。
 作家はどんな思いの中で創作したのだろう?なんて勝手に想像したりするのですが、その作品の重大さ、とでも言ったらいいのか、その作品の「重さ」に圧倒されたり、あるいは「私もちょっと作ってみたいな」なんて楽しくなったり、本当に面白いものです。
 そんな私は、思いたっぷりで作品の前に立つので、ぼーっとしているのでしょうね。じっくり味わいたいにもかかわらず、横から覗き込むような周りの人の動きに、なかなか感傷に浸ってはいられませんでした。
 その後、おいしいランチにも出会い、長めの昼休みを楽しんだアートな金曜日でした。
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by artemis-journal | 2006-05-28 19:32

ニュースの「死」

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 5月、雨の多いこの頃です。昨日は武蔵野市に一時、集中豪雨警報が。夏のような陽射しのお天気だったのに、にわかに掻き曇り、豪雨の後、まぶしい夕日。まるで私の心よう?!?
 それはともかく、先日、「死刑になりたかったからこどもを殺した」という犯罪者の声に、そんな気持ちになるのは、自分で死を選べず、殺してもらいたい、ということなのでしょうか。
 この前は、自殺予防対策についてNPOが発足した、というニュースを耳にしました。毎年7万人越す自殺者は、近年、50代、60代の男性増加しているそうです。仕事に邁進してきて、そろそろ引退を視野に入れて、という年代。女性は「おしゃべり」で自殺を予防しているらしいけれど、その年代の男性は、自分の悩みをあまり口にすることもないとか。私からみると、おじさま方は飲み屋さんで「おしゃべり」しているのかと思ったのですが、そうでもなさそう。
 自殺者の遺族の中では、「殺す」という言葉を使わず、自分で死を選ぶというニュアンスで「自死」という言葉を選びたい、という話も聞いたことがあります。
 それにしても、「死刑になるための殺人」を望むとなると、死刑というのがなんの意味を持つのかわからなくなります。極刑を望む被害者(家族)の立場だと、またものの見方は変わるでしょうから、私はあまり軽々しくは言えないのですが。
 小学生が他者を殺める、生活が困窮した老老介護や行政に見捨てられた人たちの「もう生きられない」という無理心中、乳幼児を虐待死させる親、そして尊厳死に関することなど、さまざまな死の話。
 「交通事故死」の確率がよく引き合いに出されたりすると、「交通事故」は、社会通念として、一般化されてしまっているのだな、とつくづく思います。
 ある週の夜のニュースはそういう個人的な「死」のニュースが溢れていたような気がします。ある意味、ローカルな「死」のニュースが全国に流れることは、果たして良いことなのか? と疑問を持ち続けています。未然に防ぐことができるとも思えない‥‥。その類の「個人的な死」をニュースでは、現場状況を生々しく伝えるのではなく、別枠で扱って欲しい、と思うのですが。
 ほとんどの人が、見ず知らずの「怨恨殺人」の話を見せられて、何を感じるでしょう?
 先週は、夫の仕事仲間が脳内出血で意識不明という話に、なんとか助かって欲しい、という気持ちでいっぱいでした。続いて、夫の仲間がもうひとり入院したというし‥‥。
 ふたりとも、気持ちはとても元気な人たちですが、カラダは気持ちには付き合えなかったのでしょう。早く回復して下さい、と祈るばかりです。
 かくいう私も相当の忙しさ。家族はどうも私の大変さに気づいていない様子。だって、私はいつも規則正しい生活に、すっごく体調に気をつかってますもの。流行のデトックスだって、10年以上前からそれなりに気づかってますしね。
 でも、私の大変さに気づいて欲しいんだけれどなぁ。健康でいるあいだは、家族は私を性能の悪い“家事マシン”としか見えないに違いありません。それでも幸せと思えるようになれば、私の相当修行ができた、ということになるのでしょうね。
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by artemis-journal | 2006-05-21 09:56

5月の潮流

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 明るいニュースが少ない昨今。水俣病も50年。被害データはできるだけ少なく見積もるチェルノブイリ20年。共に私にはゆかりある事件。
 沖縄基地のなんとも言えない合意。政治外交では、北朝鮮拉致問題解決協力とグアム移転費用負担を上手に組み合わせ、アメリカに乗せられてしまった感。アメリカの傀儡と言われることを、なんとも思わず、何かというと「日米同盟」と豪語する日本の総理大臣。そこで、愛国心へと導かれる憲法改正に私はおろおろ。隣国からの要望に、対話がどうの、というのは口先だけでやり過ごす人。日本が嫌われ者になっていくと、世界では相手にされないだろうな。「愛国者」としては、恥ずかしいし、情けないし、海外の友人には弁明の余地なし。
 そして誠に恐ろしげな共謀罪法案。自身に降りかかるかもしれない、と考えている人はいったい何パーセント?私には友だちが減っていくかもね。「あの人とは付き合わない方が身のためだよ」とか。
 産科医、小児科医が減っていき、小さな村には医者も医療機器も一層減ってしまいました。市町村合併で公費(人件費)が増え、国からの自治体へ補助金を減らし「痛み分け(押し付け?)」の小泉流削減。
 地元武蔵野市では、新市長の公約は、多数派の野党自民に圧しまくられ、理想から離れていきます。(自民系の“野次チラシ”が時々撒かれるのですが、オジイサマをはじめ女性の品のなさに、がっくりします。でも、これが本質だったりして。)
 高齢者や障害者の介護保険も見直しで値上がり。友人は借りている介護ベッドの給付が受けられなくなるから、どうしたものやら、と悩んでました。
 義務教育においては、学校現場の先生もお困りの様子で、親の私は「頼りは塾かしらね」、と育ち盛りの子に対して、数年先の「改定」を待ってはいられません。わが子たちはゆとり教育の被害者層、なんて呼ばれてますから。(所得で成績が変わるのは、多分に教育費によるようです。)
 スポーツ界も伊のサッカーに八百長話(サッカーは潔いと思ってたのにがっかり)、ボクシングの亀田兄弟を持ち上げるメディアの節操はなし。
 TVのバラエティ番組に出る政治家が「有名人」となり、政治がお茶の間に来たのは良いのですが、でも、ちょっとわびしい気持ちになります。有名人の政治家なのか、政治家として有名なのか?
 逆に緒方貞子さんが政治に参画せずにやってこられたことに、経緯を評したいですが、彼女のような方が政治家だったら、とあり得ないことを願ってしまいます。
 TVドラマは韓国の純愛が人気で、単純な感動ものが受けるのは、ピュアで批判すべきことではないのですが、でも、じっくり向き合わされてしまう作品や、心の奥底でじんわり残るタイプが流行らないのも、さみしいです。「子どもじみたものばっかり」という言葉は当を得て妙。
 先日の観た『かもめ食堂』は、派手な感動シーンはなく、穏やかな作品で、とてもよかったのですが、客はまばらだし、メジャーにはなれない映画だと痛感。(もう少し客が入るかと思った)
 そんなマイナー好みの私は、清濁併せ呑むことも苦手。この頃は生きにくいなぁ。私のようなおばちゃんが仕事をしつつ家庭を運営する、っていうことは、社会保障(給食とかもね!)がしっかりしているからこそできるもの。流れとして男女共同参画もジェンダーフリーも、根付かないまま芽を摘もうとしています。実情は女性の方が男性より明らかに元気だから、良い仕事をするようですが、私たち家庭の主婦の就労は、縛りがきつくて、働くモチベーションは下がります。
 所得格差が広がっているのが見えにくいのかもしれません。ともかく「基本的生活」だけは誰でも(外国人でも)安心して送れるような社会制度を願っているのですが‥‥。
 若者がネット株で儲けるのは、なんとも労働意欲がそがれると思います。時給1000円で働くのが空しくなってしまいませんか? ニートって夢食う獏なの? それとも、単に働く能力が乏しいだけ? 働かない人が増えれば、GDPは下がります。外注、パート、と正社員扱いが減っているのは、経費削減、つまり保障なしで良いわけです。過去の終身雇用制度から労働形態変わって、社会保障は随分変わってきたのだと思います。
 5月もここまできて、そろそろ新人が新人としてちやほや扱われず、本来業務への移行で疲れが出る頃。どうぞくじけずにがんばって欲しい新社会人たちです。若者の頑張りで、おばちゃんも頑張る元気が出てきます。くれぐれもニートを選ばないでね! 
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by artemis-journal | 2006-05-14 13:07

食事作り

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 『食品の裏側―みんな大好きな食品添加物』安部 司(著)をご存知の方も多いと思います。(私は立ち読みだけです、ごめんなさい。)
 あの本を読んでも、まだインスタント食品を食べる気になれるかしらね。(と息子に問いたい!)
 私はまだ、コンビニのおでんを食べたことはないのですが、「おいしいよ~」と多くの人が絶賛。お惣菜やお弁当にはそれなりにお世話になる生活をしているのですが、できるだけ添加物の少なさそうなものを選んでしまいます。(すると高い!)
 生協活動を経験すると、農薬や食品添加物、遺伝子組替えには敏感にならざるを得ません。(というより、普段の生活では、無頓着になってしまっている、とも言えますが。)
 「食育」という言葉も根付いてきました。食がきちんとすると、他も整いますから。
 でも、「おかあさんのごはん」には限界を感じています。スーパーマーケットには中華の素、パスタソースと完成品が並んでますし、カップ麺の棚が増えているような気がします。冷凍食品は、電子レンジ対応(つまり暖めるだけ)ばかりです。
 野菜や魚などの素材から、調味料を屈指して調理、というのは相当手間はかかりますね。炊き込みご飯の素があって、餃子も焼くだけでOK。加工食品の発達には関心します。疲れていて、食事の支度の気力がない時には、本当に助かります。
 武蔵野市の中学はお弁当です。「給食を!」とほとんどの母も先生も切願しているのに、実現にこぎつけられない現実。「給食をいやがる現場の先生がいる」と説明する市議の方。信じられない!いったいどこの先生だろう?と追求したくなりました。
 行楽弁当と違って、栄養を考えた上の毎日のお弁当って、うまく行きません。さめてもおいしい、という食べ物(添加物入り)が普及するし、仕事に出る前に作るお弁当ですから、短時間にしたい。
 お昼ごはんの給食って、栄養士さんが考えて、良い食材を選んで、暖かい汁物もいただけるので、「食育」にはとても良い、と思うのですが。
 私も兼業主婦。料理は短時間に手早く、というのが基本方針。朝のお弁当は30分、晩の食事作り1時間以上。これを手抜き、とみるかどうか。確かなことは、私の母より手抜きをしている、ということ。でも、これが限界なのです。
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by artemis-journal | 2006-05-07 22:02

電子レンジ

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 今日は、しっとり雨混じりの一日でしたが、お天気に恵まれたGWもでしたね。
 私は日替わりメニューでバラエティに富んだ毎日でした。といっても、何をしたわけでもないのですが。映画『かもめ食堂』を観たり、実家の引越しの片付け、娘と代官山を散歩‥‥。週末でも十分にできそうなことばかりですね。(^^;
 そんな毎日、庭の木漏れ日の下で新聞めくりながらの朝食が最高によかったかな。春は我が家の庭は最高のロケーション。これからしばらく、この素敵な朝食を楽しめるのですが、普段は家事に追われそれどころではありません。前の晩に総ての家事を仕上げ、朝をゆったりスタートしてみると、1日の過ごし方が変わるかも。でも、お弁当作りは朝だろうな‥‥。
 中学生の男の子のお弁当、いろいろ注文も多くて、大変。家には今のところ電子レンジがない生活をなので、朝からコロッケ揚げて、野菜を炒めて、サラダを作って、と夕食並みのエネルギーを使って朝から料理をしています。煮物とか嫌いなんですよ。だから前日から作れるものが限られてしまって。
 電子レンジをやめておよそ18年。アメリカでグルメのハウスメイトと生活を共にして、オーブン料理や、蒸す、という料理になじんで、電子レンジの料理がまずく感じるようになって、やめてしまいました。特に電子レンジがあると、子どもたちには、「チンして食べて」となるし、お弁当もほぼ「チン」でできてしまう。最近は冷凍食品をチンもせず、そのまま入れると、お昼に食べ頃になる、というのもありますよね。
 確かにお弁当作りがなくて、とってもラクではあるのですが‥‥。マクロバイオティックの料理を知っている者には、インスタント食品にささやかな抵抗があります。
 アレルギー体質の私。「食」が、どれほど健康を左右するかを痛感していますので、どうしても超えられない一線があるわけで‥‥。しかし、息子は小さい頃、口にできなかったカップ麺が好きで、インスタント食品やスナック菓子を楽しみたい、というタイプ。
 毎食息子との「食」の折り合いをつけるのに行き詰まっています。で、このたび、実家にある電子レンジをもらってくることになってしまいました。どうせ捨てるなら、ま、いいか、という心境です。それで、息子のストレスも減るわけですし。
 来週は電子レンジがやってきて、きっと冷凍庫にも、「チンするだけ」の食品が加わるのだろうな。はたして、お弁当作りも簡単になって、朝は余裕ができるのだろうか。
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by artemis-journal | 2006-05-07 21:58

ケアホーム

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 緑の美しいGWに家にいるのは、なんとももったいない気がします。でも、電車・徒歩範囲以外でないと、交通渋滞もわかっているし‥‥。
 それにしても、なんて気持ちが良いのでしょう。そこまでのゴミだしだけでも、気分はさわやか。(^^;
 この2年近く、高齢の二人で暮らしていた両親のことで、なんともガタガタした生活を送っていました。父は物忘れが進み、母なしでは生活がなりたっていませんでした。まぁ、物忘れがなくても、もともと母に頼りきった生活ではありましたが(^^;
 その頼りの母は、長い付き合いの鬱病で寝込むことが多く、私たち姉妹は、両親の生活にはなんとも「手出しできない」状態でした。それが昨年は、思いがけず母は大手術を2回も。
 当然、娘の私たちが仕切ることになり、父はケアホームへ。
 父は、普段ちょっと会っておしゃべりをする限りでは、認知症とはわからなかったのです。ホームドクターですら相談しても、「普通ですよ、年相応ではないですか」などというのを、無理に紹介状を書いてもらい、専門医へ通い始めたのが数年前。(ったく‥‥。)
 お年寄りは「今のままの生活」を崩すことを大変嫌います。ですから、“ケアホーム”は「老人ホームに捨てられる」イメージが強くあったはずです。
 でも、急激に増えた介護付老人施設は、家族のケアより良い面も多々あります。
 母も、精神的なことも含め、術後の生活、そしてこれからのことを考え、ケアホームを選択することになりました。1年目は、術後の回復ということで、プロスタッフにケアして頂くという生活の心地よさを体験したことで、今は大変楽しい日々を送ることができるようになり喜んでいます。
 父は未だ「帰る」の連発ですが、「ここは快適だが、もう飽きた」と。
 私たち姉妹の選択は、昔の感覚なら「親の面倒をみないで‥‥」ということになりかねません。でも、今のところ、私たちも、両親にとっても、ケアホームは最良の選択だった、と確信を持っています。
 プロスタッフの認知症への対応、また、弱っている者への対応は、社会のペースというのでしょうか、若い人たちや私たちのペースに乗せるのではなく、あくまで本人に合わせたペースで生活を進めてくれます。私だったら、「次の約束」に気を取られ、イライラしかねませんし、相手に合わせていたら、あっという間に半日は終わります。
 環境が変わることで認知症は進み、ゆっくり生活すれば老化も早まる、ということもあるでしょう。家族といたい、という気持ちは誰にもあり、さみしいという気持ちも必ずあります。
 ただ、そのことだけのために、メリットが見えないのはもったいない、という気がします。
 他のご家族の方を見ていて、本当にいろんな方々がいらして、いろんな思いがあるのが伝わります。
 ご自宅でヘルパーさんのお力で独り暮らしをなさっている方のお話も伺っていますし、ケアマネージャーさんのご苦労も耳にしました。
 お姑さんとお嫁さんのやりとりも、ほぼ同じ感情が湧くものだ、と頷いています。
 「親を看取った人は立派」というのはこれは、絶対です。でも、看取りをしなかったからダメな人だ、ということにはならないのではないでしょうか? 私は自分にそう言い聞かせています。
 昨日会った友達も、90代のお父様が自宅のすぐ近くのケアホームに入られ、朝夕に家族が面会に行くそうです。とても良かった、と安心されていました。それは、お父様の立場での言葉ではないかもしれませんが。
 私自身、数々の施設見学をして、施設選びのポイントはなんとなくわかりました。ほとんどのところを姉妹の目で確認して、私たちに合った場所に落ち着いた、という感じです。
 今月いっぱいは、空き家の実家の引越し処分で、スケジュールのやりくりだけはやり手ビジネスマン並みの忙しさです。
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by artemis-journal | 2006-05-03 11:03