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素敵な女になりたいな

 9月に入ってまもなく、友人の訃報に、まさかと絶句。数週間後、年齢の近い方のお通夜にも足を運ぶことに‥‥。
 日常の中でふらふらしていた時、こつんと何かにぶつかったようで、立ち止まるきっかけになりました。
 あっという間に一ヶ月は経ち、期限に遅れまいと仕事をこなす日々。こどもたちの学校の行事もひとつひとつが終わって行きます。もう夏休みは遠い過去の出来事。
 「ふー、こんなんで、いいのかしら」と思うことさえ、流されたままの状況です。
 そんな昨夜、友人が遊びに来て、深夜まで話込んでいました。
 彼女は5年前の50歳前にリウマチにかかり、ひざが腫れて、足をひきずりながら歩き、包丁なども使いづらく、ムリをすると悪化するようなので、料理はなかなか作れない様子。不自由な生活で、障害者福祉や介護保険などが認められています。薬の副作用で肝機能も低下とか。
 でも、彼女がすごいのは「からだは病んでも精神は健康」と自任しているところ。「今まであんまり動き過ぎたから、からだのストライキで、これぐらいの病気でよかった」とも。
 一人暮らしだし、不自由度は相当なものだけれど、仕事もしつつ、他人の人生相談もじっくり受けています。そんな“お姉さん”が身近にいると、なんとも心強い。
 「彼女はほんと華やかなんだよね」と共通の友人Tさんが話題に上りました。Tさんは「これ!」と思ったものを嗅ぎ分ける才能があり、邁進する姿がなんとも果敢で美しく、華やいで見えるのです。
 「もちろん、TさんにもTさんなりの悩みがあるけれど、それにとらわれずに、バネにしてしまうもんね。」とふたりして絶賛。
 みんなそれぞれの苦労を乗り越えると、ほんとますます素敵な女になって行くのを目の当たりにしています。
 以前、50歳を過ぎた友人が、「人生、もうそんなに長くないのだから、無駄なおしゃべりはしたくないの」と話てくれました。これにも目が覚めました。
 今日は日曜。今から弁天様の前で、しばらく心静かに座りに行こうかな。
 今一度、「これからの暮らし方」について考えてみる時期なのかも。
 同世代の友人たちの死が、私に与えてくれたのプレゼントのような気がしてきました。
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by artemis-journal | 2004-09-26 14:59

平和は作るもの

 このところニュースの悲惨さが際立っているように感じているのですが‥‥。
 『911』から3年が過ぎ‥‥。
 「低年齢化」する残虐なこと。災害でもないのに、こどもが事件の渦中に入ってしまうなんて‥‥。
 先日の先生たちの話(9/17を見てね)から「あの惨殺事件、うちのクラスであっても不思議はない」との声がありました。
 こどもたちは親や他者にほめてもらいたくて必死。(大人もほめられていやな気はしないものです)
 でも、家で「親の願望」を投影して頑張っていると、なんかもう、イヤになって自分の欲求をぶつけたくなるようです。その行動が、スリッパを踏んづける、他人のモノを盗んで困らせる、ウソをつく、などなど子供らしいことから、大きくなると、バットや刃物と凶器に変わる道具が出てきます。
 「私が私として認められて(尊重されて)いない」ことに原因がありそうです。
 幼少時の心の傷について、おとなは気づいていないことが多いそうです。その傷が中学生ぐらになって、痛み出すことも。
 たとえば、いつもひとりぼっちだった。自分はやっていないのに、悪い子にされた。おねえちゃんは許されて、ボクは叱られた。
 虐待とまではいかなくとも、大人はこどもを傷つけていることがあるようです。その傷を認め、治さないと、成長していく過程で傷口を広げていくようです。
 こどもに社会性を身につけさせるのに(公共の場でのマナー等)厳しくしても良いはず。でも、個人の意欲をそいではいけない(例えば、「こどもの仕事」である自由な遊びを奪う)。それが、逆転しているかな、と思われることも。
 何より、一番大事な相手を思いやる心を育むことが欠落しているように思います。
 道徳心と言われるのかもしれませんが、生命の尊重という点では宗教心みたいなものかも。。。
 慈愛の心。「自分がされていやだな、ということを他者にしない」。
 脅されるのがイヤ、ぶたれるのがイヤ、バカにされるのがイヤ、仲間はずれがイヤ。 弱い人が強い人に暴力を振るわれたらイヤでしょ。相手の立場に立って考えなさい。そんな慈しみの心は、挨拶にもあられますよね。
 名も顔も出さずに済む掲示板(自己責任不在)で誰かを罵倒することは、普段は口にできない、おぞましい感情を吐き出せた快感なのかも。(「憂さ晴らし」が他人に迷惑をかける行為。)
 逆に、虐げられたことのない人には「なんでそんなことするのか理解できない」ということも。
 言葉での傷つきは、言葉によって立ち直ることも可能なはずです。
 しかし、武器による生命殺傷行為である戦争やテロは、家族を殺された人たちの強い「恨み」の種をまいてしまいます。
 虐げられてきて、反抗できなかった人たちの思いはいかばかりか。そんな「恨みの連鎖」を断ち切るための努力が平和作り(平和教育)になるのだと信じています。
 公立学校のカリキュラムに「平和」なんて科目があればいいのに。
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by artemis-journal | 2004-09-17 15:13

先生と親が本音で話すと

 いつのまにやら秋。セミの鳴き声が消え、鈴虫の大合唱。にもかかわらず、残暑。
先週、幼稚園の園長先生や小中高校の現場の先生との交流会がありました。
 親の立場の私の「先生への信頼はあまりないです」という発言は波紋を広げ、先生からは「え~、お互いの信頼がないと‥‥」という声が。そりゃそうですよね。
 ところが、参加者が20名ほどいたでしょうか? 親の側からは「先生を信頼しています」という声は小さく、「ウチも小3の時ひどかった」「能力のない先生が担任だと大変だった」「幼稚園で今モノが盗まれていて、“誰か”は判っているのに、先生は対処しない」などなどその不満はつきません。
 先生側からは「保護者から長い会話の一端(××を注意した方が良いとこどもへの注意事項)を悪く解釈され、言いふらされ大変だった」という話では、親側も噂の尾ひれ(ワイドショーだよね)は認めざるを得ないところ。
 また、公立の小学校初任1年目の大変さ、小学校の先生が信頼できないからと幼稚園に相談にやってくるお母さんの話、教育の方針がない目先の「教育改革」など様々な話が飛び交いました。
 私は学校の先生はジェンダーフリーだとばかり思っていたら、なんのなんの。
 ストレスと過労で頑張りすぎ子宮全摘出となった休職中の先生は、校長先生から「子宮なんていったら、性を連想させるから他の先生には伝えない」ということでメンタルな病気にされてしまったとか。
 東京都で「性教育」ができなくなった裏話とか、先生の大変さも伺いました。
 実は先生側も親側もお互いの性格がわかりあっている高校の同級生の「交流会」での話。
 この話の中で、最近気になっていたことを次に書いてみますね。
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by artemis-journal | 2004-09-17 14:32