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2005年の師走を迎え

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 私の人生の中でも記憶に残る年でした。また、この数ヶ月、このコラムを更新することもなく、流されるままに過ごしました。私の意思は二の次となる事情も多々ありました。
 数年前より気がかりだった二人暮らしの私の高齢の両親のことや、昨年末には義父が他界した、義母が1人暮らしのこと‥‥。読んで下さっている方が同じ世代であれば、説明は無用でしょう。
 私たちの親の世代は、初めての核家族を試みた世代です。高度経済成長へと導いた主役。幼少期や思春期を戦争で汚され、それを払拭するかのような働きぶり。質素であることが染み付き、エコノミックアニマルと揶揄されようとも、全ては戦争よりマシ、という土台があるから、信念が揺らぐこともなかったのでしょう。でも老後は‥‥。
 大家族制度の中では、三世代同居は当たり前だったのでしょうが、核家族化していれば、老後の面倒は自分で‥‥、となります。また、親子が別の所帯ですから、親の意思なくして、こどもが親の老後の生活を決められません。
 ややこしい言い方になってしまったのですが、お年寄りというのは、変化を嫌います。「このままで」というのが何よりもの安心。ところが、身体も弱り、日常生活が不自由になってくると、ヘルパーさん(子ども)の力に頼らざる得ません。でも、できるだけ今まで通りが良くて、昔は良かった、という漠然とした思いが湧き起こるものです。
 私の母は今年、2度も大手術を受けたため、急激に老化してしまいました。父は母なしでは生活が成り立たないタイプでしたし、加えて認知症であることもわかっていたので、母の入院以上に、父への対応が大変でした。
 そのような事情から、父にとって一番良い生活を、と介護施設の比較研究にはまってしまった私でした。おかげさまで、父には良い環境を選ぶことができました。
 その過程で、老後の生活はどうあれば本人にとって幸せなのか? と突き詰めると、変化を嫌うお年寄り、社会環境に適応しにくくなったお年寄りに対しては、本人の意思を尊重すると、うまく行かないのだな、ということが明確になりました。
 こちらがレールを敷くことで、ある意味、子育てと同じ視点でやっていく必要もあるのだと身にしみています。
 やっと子育ても終盤と思いきや、今度は共に生きる相手(親)と向き合う段階に入りました。これが私の人生なんだな、と、現実に身をゆだねています。
 私は自分の仕事を持っていたことに、心底、喜びを感じています。もし、仕事をしていなかったら、育児・介護に全てのエネルギーを注ぎ込むことになっていたでしょう。そのことだけで満足できないタイプの私ですから、仕事がなかったら、自分を犠牲にした感覚が膨張し、大変だったと思います。
 そうはいっても、仕事と子育てと親のことを独りで担っている現状は、「もうできない」と投げ出したいこともしょっちゅう。家族はそれぞれ自分のことだけで手一杯。「私を手助けて」というこちらの願いも、彼らの事情の前ではかき消されてしまいます。あー、私がまだ他者に期待を寄せている、という弱点も浮き上がってきて、ますます自己嫌悪。「他者は変わらないのだから、私が変わるしかないのよね」と常々自分を納得させてきたのですから。
 そんな私は「おひとりさま」を歓迎してくれるお店、お宿を探しています。ぜひ、教えて下さいね。時には現実逃避して、リフレッシュしないと、ボロボロになっちゃいそうです。
by artemis-journal | 2005-12-12 11:30
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