平和は作るもの

 このところニュースの悲惨さが際立っているように感じているのですが‥‥。
 『911』から3年が過ぎ‥‥。
 「低年齢化」する残虐なこと。災害でもないのに、こどもが事件の渦中に入ってしまうなんて‥‥。
 先日の先生たちの話(9/17を見てね)から「あの惨殺事件、うちのクラスであっても不思議はない」との声がありました。
 こどもたちは親や他者にほめてもらいたくて必死。(大人もほめられていやな気はしないものです)
 でも、家で「親の願望」を投影して頑張っていると、なんかもう、イヤになって自分の欲求をぶつけたくなるようです。その行動が、スリッパを踏んづける、他人のモノを盗んで困らせる、ウソをつく、などなど子供らしいことから、大きくなると、バットや刃物と凶器に変わる道具が出てきます。
 「私が私として認められて(尊重されて)いない」ことに原因がありそうです。
 幼少時の心の傷について、おとなは気づいていないことが多いそうです。その傷が中学生ぐらになって、痛み出すことも。
 たとえば、いつもひとりぼっちだった。自分はやっていないのに、悪い子にされた。おねえちゃんは許されて、ボクは叱られた。
 虐待とまではいかなくとも、大人はこどもを傷つけていることがあるようです。その傷を認め、治さないと、成長していく過程で傷口を広げていくようです。
 こどもに社会性を身につけさせるのに(公共の場でのマナー等)厳しくしても良いはず。でも、個人の意欲をそいではいけない(例えば、「こどもの仕事」である自由な遊びを奪う)。それが、逆転しているかな、と思われることも。
 何より、一番大事な相手を思いやる心を育むことが欠落しているように思います。
 道徳心と言われるのかもしれませんが、生命の尊重という点では宗教心みたいなものかも。。。
 慈愛の心。「自分がされていやだな、ということを他者にしない」。
 脅されるのがイヤ、ぶたれるのがイヤ、バカにされるのがイヤ、仲間はずれがイヤ。 弱い人が強い人に暴力を振るわれたらイヤでしょ。相手の立場に立って考えなさい。そんな慈しみの心は、挨拶にもあられますよね。
 名も顔も出さずに済む掲示板(自己責任不在)で誰かを罵倒することは、普段は口にできない、おぞましい感情を吐き出せた快感なのかも。(「憂さ晴らし」が他人に迷惑をかける行為。)
 逆に、虐げられたことのない人には「なんでそんなことするのか理解できない」ということも。
 言葉での傷つきは、言葉によって立ち直ることも可能なはずです。
 しかし、武器による生命殺傷行為である戦争やテロは、家族を殺された人たちの強い「恨み」の種をまいてしまいます。
 虐げられてきて、反抗できなかった人たちの思いはいかばかりか。そんな「恨みの連鎖」を断ち切るための努力が平和作り(平和教育)になるのだと信じています。
 公立学校のカリキュラムに「平和」なんて科目があればいいのに。
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by artemis-journal | 2004-09-17 15:13
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